人は悪人や性格の悪い人間よりも無能が嫌い
 
 
 
何かあった時
犯人探しではなく無能探しをする
皆、無能の方が悪いのだと思ってるから

性格が悪いとか悪いことをしてるとかは二の次
と言うかその二つを比べると無能の方が悪いと見る

学校でもいじめの問題でいじめっこは保護されるのにいじめられっこは保護しない
いじめられっこが学校に来なくても問題にはならない
先生だけじゃなく、生徒も含めて
でもきっといじめられっこが能力のある人なら誰かが問題提起していじめっこが悪いって事に成るけど
虐められるのはいつもいじめられっこでいじめられっこが「悪い」って事になる
一方的に虐められてても
言い返さない方が悪いと言ってみたり、言い返してもいじめっこの言い返し方に押されて結局はいじめられっこが悪い事になる

学校でもそうだけど、社会に出ればそれは更に顕著
出来ないバイトが不当な言い分で辞めさせられても誰も何とも思わない
あれは出来ない子だからで追い出される
でも出来る人ならいくら遅刻しようと悪いことをしようとさぼってても「しょうがないね」で済まされる
治安を悪くしてるのが悪い人の方だったとしても


頑張っても報われない所か、ただただ悪者にされる無能はどんどん落ちていくだけ
そして生きて生き続ければ毎日卑屈になっていく
人の罪も擦り付けられ続ける人生だから性格もゆがんでいく

社会の歪みを受けるのはいつも無能の人間
そして悪い人はしれっと良い人ぶっていく
良い人生送れる方が良い人みたいになって悪い人生なら悪い性格に成っていくのは有る意味当たり前
そこで「悪い人間になったのが悪い」と言う人間はそういう人生を送らされてる人間の事なんかまるで知らない人間
そういう人がいつも無能をたたき続けてるから無能はより落ちていく

かと思えば生活保護費は減らせとか無くせとか言う


正義感として皆で無能を虐めるから余計に性質が悪くて
性格が悪くても能力が有れば良い人生を送れるのに
無能ってだけでだめ人生は年齢と共に加速し続ける

街中で歩きたばこをする人間よりも
歩きたばこの煙で咳が止まらなくなる人間の方がみんな嫌い

そこに正しさは関係ない
どっちが矛盾してるかも関係ない
せき込む方が悪いのだ


だから無能な人が無敵な人になっていく
無敵の人を作ってるのは無自覚に勝手な正義感で無能たたきする人達だよ